安達瞳子さん

川村二郎の『人間万歳』
桜と聞くと花道家、安達瞳子さんを思い出すのは、着物の似合う美人の忘れがたい言葉があるからだ。安達さんは椿(つばき)を活けることで名の高い家元の家に生まれ、三十一歳の時、親に反抗して家を出た。
その時に持って出た骨こっ董とうの櫛(くし)を、生活のために処分していないか。
父親が娘を思って骨董屋巡りをしていたことを知ったのは、父親の七回忌がすんだ後だった。
桜を活けることに一生を捧げようと心に決め、世界中の桜を見て歩いた。ヒマラヤの桜は「まあ、きれい」と思っただけで、終わったそうである。
「高地ですから、空気が乾燥し過ぎているせいだと思うのですけれど、アッケラカンとして、異性に対した時のような胸のときめきがありません。日本は、湿気がありますから、それで花の輪郭がぼんやり見えますでしょう。夜桜は特にそうですけど、妖しい気持ちになるのも、湿気のせいだと思います」
この話を聴いた時、本で昔読んだ「ものの見方や感じ方を作るのは生まれ育ったところの気候風土である」というのは、こういうことかと思った。日本語の形容詞には情緒的なものが多い。その理由もわかった気がして、国語学者の大野晋さんに確かめたが、「そうだよ」ということだった。
斗酒なお辞せずと聞いていた。しかし、拙宅にみえるようになったころには体調を崩されていて、お酒を御一緒する機会がなかった。
酔えばマイクを持ち、高倉健の『網走番外地』を歌った。身一つで家を出たころに覚えた歌だそうである。さぞやあでやかで、凄す ご味み があったことだろう。
筆者紹介<川村二郎 Wikipedia>
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2011年3月20日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |
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